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A 11


 大丈夫です。なぜなら、「善行」はあっても「善人」などというものは存在しないのですから。善や悪というものは「人為」に宿るのであって、「人物」に宿るものではありません(SN-049参照)。そのことは、そのまま悪行と悪人についても適用できるため、私たちは日々常々あるいは時々刻々、徳度(徳の度合い)を試されていることになります。根腐れせず「自己省察」の精神を失ってさえいなければ、末期的な状態からも復活は可能です。

 ここで、野球との類比が適切かどうかは分かりませんが、3割バッターといえば強打者の称号が得られます。しかし、よく考えてみると残りの7割は打ち取られているわけで、何だか大したことがないようにも思えてきます。もし、これを強引に人生に準(なぞら)えるなら、『3割』くらい道徳的に生きられれば上出来(残りは中立的または合理的)ということにはならないでしょうか?

 むしろ危険なのは、背徳を忌(い)み嫌う完全無欠の天使主義的な潔癖(けっぺき)症になってしまっている人の方かもしれません。彼らは人間の弱さを自覚していないため、出来心で「魔が差す」ことさえ許せず極度の緊張とストレスに晒(さら)され続けており、いつ暴発するかわからない状態です。

 人間というものは、もっと猥雑(わいざつ)で多彩な面を持つ生き物のはずであり、高潔なイデアのような堅物(かたぶつ)は、仮に純粋であっても面白味に欠けた味も素っ気もない存在なのではないでしょうか。むしろ、俗物根性の塊みたいな不浄の人の方が、今後の功徳(くどく)と積善によって『転生』できそうな予感さえします。

 それが過ちを繰り返した過去の免罪符となるかどうかは別としても、良心の呵責(かしゃく)や贖罪(しょくざい)の意識を持つことは、少なくともあなた自身の中(精神)に大いなる変化をもたらすことでしょう。無責任な物言いかもしれませんが、あなたの起死回生の一打、逆転満塁サヨナラホームランを祈って…。







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