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もしも、雪山で遭難(そうなん)して食料が尽きたとしたら、先に死
亡した誰かの人肉を喰らってでも生き延びるべきか。そもそも、或
(あ)る生命体が生きていくためには、別の生命体を殺(あや)めて
食(しょく)さなければなりません(
【注】
:菜食主義者もご多分に漏れ
ず)。キリスト教では、このことを
「原罪」
(生まれながらの罪)と呼ぶ
ようですが、ここで問われているのは対象の「生き死に」よりも命を
「頂く」ことへの
『感謝の気持ち』
ではないかと思います。
心神が耗弱(こうじゃく)したり喪失したりしかねない瀕死の状況下
で、仮に人肉を食べるという選択をしたとしても、「あー食べたさ。本
当は食べたくなかったけど仕方がなかったんだよ。」と開き直るの
と、「実に旨(うま)かった。愛の味がした。とても感謝している。彼は
今も私の中で生き続けています。」と言うのとでは、何かが決定的
に違います。
つまり、
「手段」
の選択肢が一つしかないようなときにも、
「手法」
(表現方法)、すなわち
「生きる姿勢」
の選択肢は残されているので
す。一時はディレンマ(両刀論法)に陥って身動きがとれなくなり、道
徳が矛盾したり過ちを犯したりするようなことになっても、事後の対
応次第では情状酌量(しゃくりょう)の余地が生まれ、それは
『次善
策』
だったとの再評価を受け、道徳は息を吹き返すことでしょう。
命が命らしく、人が人らしく、手段が目的のように真心と誠意をもっ
て扱われたとき、愛(思いやり)のある行為は愛(許し)によって救済
されるはずです。
注釈:*心神耗弱(精神機能の障害により、行為の是非を判断する能力や行動を制御する能力が減弱した状態。)*ディレンマ(板ばさみ)*情状酌量(同情すべき事情を考慮して、刑罰を軽くすること)*次善(最善に次ぐこと)
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