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A 10


 もしも、雪山で遭難(そうなん)して食料が尽きたとしたら、先に死亡した誰かの人肉を喰らってでも生き延びるべきか。そもそも、或(あ)る生命体が生きていくためには、別の生命体を殺(あや)めて食(しょく)さなければなりません(【注】:菜食主義者もご多分に漏れず)。キリスト教では、このことを「原罪」(生まれながらの罪)と呼ぶようですが、ここで問われているのは対象の「生き死に」よりも命を「頂く」ことへの『感謝の気持ち』ではないかと思います。

 心神が耗弱(こうじゃく)したり喪失したりしかねない瀕死の状況下で、仮に人肉を食べるという選択をしたとしても、「あー食べたさ。本当は食べたくなかったけど仕方がなかったんだよ。」と開き直るのと、「実に旨(うま)かった。愛の味がした。とても感謝している。彼は今も私の中で生き続けています。」と言うのとでは、何かが決定的に違います。

 つまり、「手段」の選択肢が一つしかないようなときにも、「手法」(表現方法)、すなわち「生きる姿勢」の選択肢は残されているのです。一時はディレンマ(両刀論法)に陥って身動きがとれなくなり、道徳が矛盾したり過ちを犯したりするようなことになっても、事後の対応次第では情状酌量(しゃくりょう)の余地が生まれ、それは『次善策』だったとの再評価を受け、道徳は息を吹き返すことでしょう。

 命が命らしく、人が人らしく、手段が目的のように真心と誠意をもって扱われたとき、愛(思いやり)のある行為は愛(許し)によって救済されるはずです。







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