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A 9


 まず疑わしいのは、本当に本能に身を委(ゆだ)ねているのかという点です。なぜなら、人間の本能は理性の存在(内定)によって既に半壊(はんかい)してしまっているのですから。ご存知のように、動物は必要以上の食料を狩猟(しゅりょう)したり採集したりしません。それは、本能が「自制装置」を内蔵させたもののことを意味するからです。

 よって、「必要以上」を求める人間には「本能的なもの」はあっても厳密な意味での本能は備わっておらず、要するに機能不全を起こしている状態と言えましょう。だからもし、本当に人間が理性の制止を全て振り切って本能(的なもの)に身を委ねたとしたら、私利私欲にまみれて我が身を破滅させかねません。

 皆さんは、「自分の欲望なのだから自分の味方だ」みたいに考えているかもしれませんが、唯々諾々(いいだくだく)とその要求に従えば「飼い犬に手を噛まれる」ではありませんが、例えば暴飲暴食による肥満に象徴されるような醜態をさらすこととなるでしょう(【注】:遺伝的な肥満は該当しませんし、太っている方にも魅力的な人はたくさんいますが、自分の体が動かせなくなるほど太りたいと思う人はいないはずです)。

 あるいは、本当に本能しか持ち合わせていないと言い張るような人は、良心の芽である羞恥心(しゅうちしん)も皆無であるはずなので、便意を催(もよお)したときはトイレまで我慢せず、その場で垂れ流すべきでしょう。つまり、どんなに本能(的なもの)を正当化して理性や道徳を退(しりぞ)けようとしても、「程度の差」こそあれ、その必要性は誰にも否(いな)めないのです。

 そして何よりも、理性は欲望と対立するものではなく、よりよい形で欲望を充足させるためのブレーキ役(相棒)だということを忘れないで下さい。もしも、あなたが他者の権利を大きく侵害してまで我欲を実現させたとしたら、それは本能の勝利ではなく「理性の敗北」と呼ぶべきでしょう。







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