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A 6


 それは、大いなる誤解です。逆説的ではありますが、自分のことで精一杯になってしまうのは、自分のことばかり考えて周りが見えなくなっているからなのです。自己中心的な人が挫折(ざせつ)しやすいのは、そのためでしょう。むしろ、自分のことで頭が一杯になっているときこそ、他者に対する『気遣い』は自己を客観視する契機となり、「心の余裕」も生まれて、ついには冷静な判断力を取り戻すことになるはず。

 無論、それらは副産物として享受すべきものであり、表面的な気遣いなどで狙って捕れるものではありません。そもそも、自分のことばかり考えて生きていたら、息が詰まりませんか? 打算や権謀術数(けんぼうじゅっすう)を巡らしてばかりいて疲れませんか? そして、そんな見苦しいあなたを見て誰が手を差し伸べようと思うのでしょうか。

 「自分のことで精一杯」などと発言する時点で、そんな困っているあなたを助けてくれる人が周囲に誰もいない「貧相な人間性の持ち主」であることを、告白しているようなものです。状況(外面)や情況(内面)の如何(いかん)によって、自己を投げ出せるだけの相手(対象)が誰(何)も予定できない孤絶した人生なんて、生きていて価値があるのでしょうか? 倫理学的には、『自己+他者(関係者)=自分』であることを忘れないでください。

 徳の教えは警句に代表されるように、必ずしも私たちの耳目(じもく)に心地よいものばかりではありません。しかし、怠惰(たいだ)な自分が道徳的な人間になれそうもないからといって、その姿勢を世界中の人たちにも敷衍(ふえん)しようとするのは間違いです。もし、仮にたった一人でも道徳的に生きられる人がいたなら、それは「理想論」とは呼べないはずです。だとすれば、道徳を奇麗事といって論難したがるような人たちは、実のところ「理想論であってほしい」のでは? どうか、混同なさらぬよう。







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