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それは、大いなる誤解です。逆説的ではありますが、自分のこ
とで精一杯になってしまうのは、自分のことばかり考えて周りが
見えなくなっているからなのです。自己中心的な人が挫折(ざせ
つ)しやすいのは、そのためでしょう。むしろ、自分のことで頭が
一杯になっているときこそ、他者に対する
『気遣い』
は自己を客観
視する契機となり、
「心の余裕」
も生まれて、ついには冷静な判
断力を取り戻すことになるはず。
無論、それらは副産物として享受すべきものであり、表面的な
気遣いなどで狙って捕れるものではありません。そもそも、自分
のことばかり考えて生きていたら、息が詰まりませんか?
打算
や権謀術数(けんぼうじゅっすう)を巡らしてばかりいて疲れませ
んか? そして、そんな見苦しいあなたを見て誰が手を差し伸べよ
うと思うのでしょうか。
「自分のことで精一杯」などと発言する時点で、そんな困ってい
るあなたを助けてくれる人が周囲に誰もいない「貧相な人間性の
持ち主」であることを、告白しているようなものです。状況(外面)
や情況(内面)の如何(いかん)によって、自己を投げ出せるだけ
の相手(対象)が誰(何)も予定できない孤絶した人生なんて、生
きていて価値があるのでしょうか? 倫理学的には、
『自己+他者
(関係者)=自分』
であることを忘れないでください。
徳の教えは警句に代表されるように、必ずしも私たちの耳目(じ
もく)に心地よいものばかりではありません。しかし、怠惰(たい
だ)な自分が道徳的な人間になれそうもないからといって、その
姿勢を世界中の人たちにも敷衍(ふえん)しようとするのは間違い
です。もし、仮にたった一人でも道徳的に生きられる人がいたな
ら、それは
「理想論」
とは呼べないはずです。だとすれば、道徳を
奇麗事といって論難したがるような人たちは、実のところ「理想論
であってほしい」のでは? どうか、混同なさらぬよう。
注釈:*権謀術数(巧みに人をあざむく策略)*如何(事と次第)*怠惰(怠けること)*敷衍(展開すること)*論難(相手の不正や誤りを論じ非難ること)*混同(区別しなければならないものを同じものとして扱うこと)
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