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A 2


 相対主義者の卑怯(ひきょう)なところは、自分に都合の悪い事、例えば守りたくない規律があるときは他者との「相違点」をクローズアップ(大写し)するくせに、自分に都合の好(よ)い事、例えば愛する人との楽しい時間などでは「共通点」に重きを置くことです。

 もちろん、道徳が社会性を帯びるからには、その時代や文化や習俗によって正しさの基準は異なると言えるかもしれません。しかし、それらは話し合って軌道修正し『合意』を取り付ければよいだけのことではありませんか。あたかも、伝統が流行を取り込んでブラッシュアップ(洗練)されるかのように。且(か)つ、道徳が相対的なのは、半永久的にに進化(発展)途上にあると考えることによって…。

 それに、おそらく「人間」であるという根本的な大枠の共通点において、思いやり(内面)の基準の違いは外見(ルックス)のそれほど振幅(ふりはば)の大きなものではないと思います。仮にあったとしても、誤差の範囲内か近似値(きんじち)のレベルに収まり、「大同小異」で済むことでしょう。お互いの違いばかりに目を向けるような人は、何か後ろ暗くて疚(やま)しい過去や遠因(成育環境)でもあるのではないでしょうか?







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